中国『三字経』東京教室
三字経に関する故事
1.東呉の周処
春秋三国時代、東呉の義興(今の江蘇省宜興県)に、周処という若者がいた。彼は、幼少の頃に父親を亡くし、彼を教育する者もいなかった。彼は元より剛毅で、小競り合いや喧嘩に明け暮れて、地元に危害を加えていた。村人は、そんな彼を見ると、まるで猛獣や毒蛇を見るようなもので、そそくさと身を避けていた。
ある日、彼が街中を肩で風を切って歩いていると、はるか向こうで、一群の人々が眉を寄せ合って、何やら議論をしているのを見かけた。彼が興味深げに覗き込んでみると、そこの皆が黙して声を発しなくなり、そそくさと散開してしまった。周処はこれはいかがなものかといぶかり、その中の老人に訊いてみた。「…あなたたちは一体、何を談じていたのですか?」、、老人は内心でびくびくとしながらも答えた。「私たちは実際、三つの害について話しておったのですじゃ…その一つは南の山に住んでいる人食い虎、…二つ目は、長橋の下の河に住んでいる悪い龍じゃ。これに害された人は無数にいて…」、老人が言い終わらないうちに、周処はこれを聴いて大声で叫んだ。「人食い虎や性悪の龍が何ほどのものだ!俺さまが行って退治してやるわ!」、そう言うなり身を翻して姿を消した。
周処は南の山につくと、人食い虎を探し始めた。ある晩、彼はこれと遭遇し、虎が飛び掛かってきたが、ひらりと身を躱すと、これに蹴りを入れ、虎に飛び乗ると、拳で打撃して倒してしまった。それから彼はすぐに長橋へと向かい、長刀を咥えると、河の中に飛び込み、性悪の龍と対決して、三日三晩かけてこれを討った。
村人たちは、周処が戻ってこないのを見て、さては猛獣に食われてしまったものと早合点し、鼓を打ってお祝いをしていた。思ってもみなかったことに、周処が故郷の村に錦を飾って戻ると、村人たちが三つの害が既に除かれたと行っているのを聞き及び、元来自分がその害の一つであったことを悟った。
周処は慚愧に堪えず、自らの平生の行いに過ちがあったために、村人が自分を害の一つにしたことに思い至り、心を改め、自らを新しくする決心を固めた。後に、彼は当時に修養で名高かった名人・陸雲を探し出し、過ちを改めたいと申し出た。しかし、歳月は人を待たず、何事も成就しないおそれがあった。しかし、陸雲は、「朝に道を聞かば、夕べに死すとも可なり」と彼を励まし、それでやっと彼は志を立てることができ、前途に希望をもつことができた。こうして周処は勉学に励んだので、終いには一個の忠臣となることができた。
Q;あなたの認識を書いてみよう
1.もしあなたが周処だとして、村人たちがあなたのことを三害の一つにあげていたら、あなたはどう感じるだろうか?
2.周処は、いかにして自分自身の「三害」を取り除いたのであろうか?
3.今後、世間の批評に対して、あなたはどう対処するだろうか?
2.竇燕山の五子
竇菟欽は、五代後晋の人で、薊州に住んでいた。薊州は、古の燕国にあったので、人々は彼のことを竇燕山と称した。竇家の経済状態は裕福であったが、彼の考えることはよくなく、常に郷里の人を騙したり圧迫して楽しんでいた。そのため、彼は福を惜しんで徳を守るということには耳を貸すこともなく、三十になっても子供ができなかった。
ある晩、彼の夢枕に亡くなった父が立ってこう言った、「おまえの考え方は良くないし、徳行も行き届いていない。もしこのように悪行を繰り返すなら、夭折をしないまでも、子なしで絶家になるだろう。だから、おまえは必ず前の非を悔いて、善事を多く行い、多く徳を積まなくてはならない。そうすれば、功罪があいつぐなうであろう…」、彼は夢から醒めると、この亡くなった父の言葉が耳から離れず、冷や汗をかかないわけにいかなくなり、過ちを改めて善に従い、二度と悪をなさないこととした。
これより彼は善を行うことを自ら任じ、慷慨として貧窮している人たちを救い、自らの家の中に「義館」を立ち上げ、高名な師を招き、貧しい子供たちに識字を教えた。ある日、彼は食堂で白銀の入った財布を拾ったが、貪欲の心は起きず、しばらくそこで静かに待っていると、最後には落とし主にそれが戻った。
またある日、亡くなった父が夢枕に立って言った、「お前は一心に善を行い徳を積んだ。将来は子供を五人授かるだろう。福が増し、寿命も延びた」。彼は目が覚めると、常時この夢の中の出来事を思い出し、またさらに徳行に励んだので、妻が五人の子を産んだ。
彼は子供の教育を重視し、聖賢義理の道へと教導した。子供たちは、その父の指導の下、相次いで科挙の試験に合格し、郷里ではこれを讃えないものはなく、その父子の名声は遠方まで及んだ。
Q;あなたの認識を書いてみよう
1.竇菟欽の元々の命運を改変したのは何だったであろうか。
2。竇菟欽とその五人の子供の名声が遠くまで及んだ主要な原因とな何か。
参考文献:『三字経』博大書店出版
3.漢の趙孝
漢朝の頃、趙孝という人がいた。字は常平といい、その弟である趙禮と仲睦まじかった。
ある年、飢饉が発生し、盗賊が宜秋山を占拠して拠点とした。ある日、盗賊たちは趙禮を浚い、彼を食べる準備をした。趙孝はすぐに盗賊の所に行き、そして言った、「趙禮は病気持ちで、しかも痩せている。しかし、私はこんなにも肥っているので、私が身代わりになろう」。趙禮はこれをよしとせず、慌てて言った、「捉えられたのは私で、すでに命運は決まっている。本来死ぬべきであったのに、なぜ兄がそのような苦しみを受けるのか」、そして兄弟は抱き合って泣いた。盗賊は、この兄弟
の情に感動し、二人を放免した。
後に、顕宗皇帝はこのことを知り、二人を官僚に任じた。
Q.あなたの認識を書いてみよう
1.もしあなたが兄の趙孝であったなら、兄弟の危急に際して、どのように対処して、解決を図るだろうか。
2.この二人の兄弟は、よく相手のことを思いやっていた。あなたと兄弟・姉妹は、まず相手のことを思いやることができているだろうか。
4.中国の漢字
中国の漢字は、最も美しく趣のある文字で、一字一音に形と意味があり、一筆一書にそれぞれ故事がある。もしその字が造られた典故と原則をよく理解することができれば、難しい字もよく覚えることができ忘れることがない。
中国の字形は、往々にして字が造られた最初の涵義を反映しており、それは「本義」といわれる。またこの本義が転じて他の意味になったものは「引申義」といわれる。この部首とつくりから、わたしたちはその字の意味と発音(読み方)を知ることができる。部首や意符には、字義が大方関係しており、同一のつくりでは発音が大方同じになっている。しかし、字の意味は時代の推移につれて変化しているため、よくその字の意味をつきつめてみて、はじめて文章の意味をよく理解することができる。
部首の「日」を例にとってみると、「日」の甲骨文字の文形は太陽に似ており、その本義は太陽である。それゆえ、日を部首とする文字は、その多くが太陽に関係している。例えば、「旦」の字の「一」は、地表を指し、地平線から太陽が昇るのが「旦」である。「是」という字では、下の「正」は、傾かず斜めになることなく、まっすぐに前進することを表しており、路線が正確であることを含みにしている。上の「日」は、「正」が依拠するところであり、それゆえ「是」の本義は「正」である。「直」は正確から意味が転じたものである。
Q。あなたの認識を書いてみよう
1.部首が同一の文字を列挙し、その意味を比較し検討してみよう。
2.部首とつくりが同一でも、その位置関係によって意味が変化することを確認してみよう。
(参考例)1.「杏」→「呆」
2.「含」→「吟」
3.「細」→「累」
4.「架」→「枷」
5.「紋」→「紊」
6.「忘」→「忙」
7.「棘」→「棗」
8.「椎」→「集」
9.「暉」→「暈」
※ただいま、工事拡張中です。しばらくお待ちください。