(1)天地開闢の時、天空は青黒く、大地は黄色く、天地間の一切万物が一種蒙昧とした混沌とした状態の中にあった。太陽は昇っては沈み、沈んでは昇る。月は満ちては欠け、欠けては満ちる。太陽と月は、日夜交替し、星々は一斉に配列されてこの広大無辺な宇宙にみちみちている。
(2)寒冷な冬が過ぎ去ると、炎熱は夏がやってきて、寒暑が交替するのが一年である。秋は実りと収穫の時期であり、冬にはそれらを貯蔵する。陰暦と陽暦の差は、一年で十一日間あるので、三年で三十三日、したがって四年目には一か月の閏月が置かれ、これが閏年である。古人は、六律六呂※を一年にあてはめ、二十四節気を定めた。
※六律六呂…中国古代の音楽で用いられた音律。
(3)j地面の水蒸気が空に昇って次第に温度が下がると次第に雨水に変わり、それがまた地表に降り注いで冷えて凍結すると白色の霜となる。邪気を払うと言われる黄金は、雲南省の金沙江(長江の上流)で採れ、身に付けると平安が保たれるという玉石は崑崙山で採れる。
(4)宝剣の中で最も鋭利で有名なものは巨闕剣であり、果物の中で最も貴重なものは李子(スモモ)と奈子(リンゴの一種)であり、野菜の中で貴重なものは芥菜(カラシナやタカナの類)である。
(5)海の水は塩辛く、河の水は真水である。水の中に深く潜行して生活するのは魚類であり、羽毛をもって空高く飛翔するものは鳥類である。龍氏(伏儀)、火帝(すいじん)、烏官(少昊)、人皇、これらが人類史上最も早い時期の中国古代の皇帝である。
(6)黄帝時期、蒼頡という人物が、象形、会意、假借などの手法を用いて文字を発明し制定した。その後、胡曹が上下に身に付ける衣服を発明した。その後、中国古代の尭皇帝は、自らの国家と帝位とを品徳の高尚であった舜に禅譲し、舜皇帝もまた同じように品徳の高尚であった禹にそれらを禅譲した。
(7)天下に無辜な庶民を慈しみ、罪業深い統治者を討つことは、周朝の武王(姫発)、商朝の商湯が最も早い時期にしたことである。賢明な君主は、朝廷の最高位にあって、ただ大臣諸氏に国家を治める道理を問いただし、何の労力を費やすこともなく天下を治め、自らの功績を挙げたものである。
(8)これらの君主は、自国の一般大衆を慰撫し、それらの身になって考えたので、四方八方の少数民族もまた喜んで心服し、自らをその家臣であると称した。遠方の少数民族は無論のこと、近隣の一般大衆もまた、それら万民が心を一つにして一体となった。このようにして、普く天下の万民が、仁義道徳によって国家を統治することに賛同して支持し、そして帰順した。
(9)伝説中の珍しい神獣である鳳凰は、竹林の中で楽しそうに鳴き、白色の仔馬は草原で自由に草を食む。賢明な君主の仁義道徳の教化は、大自然の一草一木のように有り難い。王道による統治の恩恵は、普く四方八方の大衆に及ぶ。
(10)われわれの身体髪膚は、地、水、火、風の四種の基本物質から成り立っており、天は、われわれに仁、義、礼、智、信の五種の基本的な品徳を授けた。身体は、父母から授けられたものであり、よくよくこれを愛護して保護し、軽々に傷つけないように気を付けねばならない。
(11)若い女性は、汚点の無い清らかな人を慕い、操を守る人でなくてはならない。若い男性は、他を見倣って才能と徳とを兼ね備えた才徳兼備の人とならなければならない。自らの過ちを認めたら、必ずや改正しなくてはならない。それが、他人から学んだものであることは無論のこと、自己の反省の後に得られた認識であっても、自分でなすことができることは、必ずやゆるがせにしてはならない。
(12)随意に他人の欠点や短所を口にしてはならない。自分の長所や優れた点に頼って、これをもって傲慢に自惚れてはならない。ただ虚心になって他人のよい点を学ぶべきである。人の処世は、その気量の懐を大きくし、他人には量り難いのがよい。墨子は、白い絹糸が染まって元に復さないのを悲しみ、詩経の中の「幼羊」は、君子の徳行を幼い羊の白い毛皮に喩えて讃えている。
(13)人は公明正大な徳行を具えて始めて賢人となれるし、自己の妄念妄想を抑制できてはじめて聖人となれる。美しい徳業を打ち建てることができれば、その名利と声望もまた自然と樹立することができる。その内心の徳行と行動挙止が端正になれば、人の外面と容貌もまた整ってくる。
(14)声音が、がらんとした山間の谷間に連綿としてこだまし、それが広々とした建物の中でも響き渡って聞こえ、それがあたかもその中で発せられたかのようである。人が遭遇する禍と災難とは、平時においてなす悪行の結果であり、人が得る幸福は平時においてなした善行の報いである。
(15)光陰と較べれば、一尺の玉もまた真の宝ではなく、一度過ぎ去ったら二度と戻らない時間こそが、われわれが惜しむべきものである。父母を養い、君主に仕えるには、基本的な要求は同じで、手前勝手にならず、誠に恭しいものでなくてはならない。
(16)自己の父母に孝行をするには全力を尽くし、君主には忠を尽くすには一意専心その本文を尽くさねばならない。君主に仕えるのは、万丈の淵を前にして薄氷を踏むがごとく、一挙一動が慎重でなくてはならない。父母よりも早く起きて、遅く床に就き、冬は防寒に気を付けて暖かくしてやり、夏は防暑に注意して涼しくしてやる。
(17)自らの徳行と修養は、蘭草(フジバカマ)のようにその芳香を四周に散逸させ、松や柏のように寒冷な冬季においても依然として旺盛な生命力を保持し、流れが止むことのない河のように、その徳行をひたすらに伝え、底まで透けて見える清い湖水のように世人に照らしだし、後人の学ぶよすがとしなければならない。
(18)人の態度と挙止は地に足がついた安定したものでなくてはならず、その内面思考と反省も同様であり、話す語気と受け答えも穏便なものでなくてはならない。どのような事情であろうと、もしスタートがよくてゴールまで困難がつきまとっても、徹頭徹尾やりぬくことが貴いのである。これは、成功と栄誉の根拠であり、このような基礎があってこそ発展は止むことがないのである。
(19)学業優秀な人は、官僚になる機会を得て、国家を治める政治事務に参加することができる。一旦それに参加したら西周の周召伯のように誠心誠意努力し、素晴らしい徳行と成績を留める。そのような人は、死後も世人に慕われ囃子歌でも讃えられるものである。
『故事』 甘棠の木
周の武王は、周朝を樹立してからまもなくして病を得て世を去った。彼の死後、その息子であった成王が王位を継承したものの、いまだ幼少で分別がつかなかったため、周召伯と周公旦が共同で国家を治める責任を補佐することとなった。あるとき、周召伯は南方巡視の命を受けたが、遠路のうえに激務が重なり、体力が限界に近づいて支えきれなくなったので、道端の甘棠の樹の下で休息した。彼はこのようなときでさえも君王の委託を忘れず、休みながら政務を処理した。随行した官吏と道行く百姓は、彼の憔悴しきった姿に感動を禁じ得なかった。周召伯の死後、人々は彼の功績を思い起こし、この甘棠の樹を切ることを忍び得ず、それを記念としたという。、
※字義参考
24.;【原文】
仁慈(1)隱惻(2),造次(3)弗離(4)。
節(5)義(6)廉(7)退(8),顛沛(9)匪虧(10)
【字詞義解釋】
(1)仁慈:仁,善の心でもって広く受け入れること。五常の徳の一つ、他人に対して厚い情、気遣い、優しさを示すこと。慈,年配の人が年少の人に対して慈しむ心、仏教用語では、人々そして万物を愛しむ心。心の中で善く思うこと。
(2)隱惻:他人が苦痛を覚えているときや不幸のときに同情や憐憫を示すこと。惻とは,同情心のこと。
(3)造次:忙しいとときの合間。論語からの言葉で、造次顛沛の略、意味は離散困苦。
(4)弗離:捨てない。放棄しない。弗は否定詞、しない。離、離れる
(5)節:品行の操を守ること。理念を守りどんな状況でも変えないのが節。
(6)義:道コ的な規範に照らして行動すること。
(7)廉:廉潔にして貪らないこと。
(8)退:謙讓。
(9)顛沛:生活が困難なときに、動揺したり流れたりすること。動乱不安、困難挫折
(10)匪虧:壊れたり損なわれたりしないこと。匪と非は同じで、不の意味。虧は欠ける。
【譯文參考】
仁厚慈善、憐憫と同情の心は,人類にとって最も尊い品徳である。例え災難や困頓の状況に置かれても背くことはしないし、忙しい中にあっても放棄してはならない。氣節、正義、清廉、謙遜の品コは人間が人間としての根本であり,住処を失って生活に困窮しても、損れてはならない。
【深く考えて討論してみよう】
陶淵明は、東晋後記の大詩人であり、文学家であり、中国でも最も古い田園詩人である。彼の作品は、自然や農園生活を題材にしたものが多い。
陶淵明は、一生の間に四度仕官したが、任官の時間は極めて短かった。彼は自然を達観し、その本性が名利に淡泊であったために、当時の虚偽の腐敗した政治社会の環境になじめなかったためであった。彼の最後の仕官は、彭澤縣の県令であったが、着任してから八十日目に、潯陽郡の督郵※から検査公務を受けることとなった。督郵の品位は極めて低く、粗俗にして膨満な人であった。
巡視の名目で隷下の県から、いつも賄賂を掠め取っていた。県吏は言った、「督郵さまを迎えるときは、いつも服装を整えて威儀を整え、礼物を十分に準備して、恭しくこれを迎えます」。陶淵明はこれを嘆いた、「私はどうして五斗米(わずかな俸給)のために、郷里の小僧に頭を下げなければならないのか。どうして賄賂をとっている人に慇懃にして、節気を下げなくてはならないのか、私は官を辞して、隠遁する」。
陶淵明の「五斗米のために頭を下げず」は、節義と節操を重んじる人品を表している。
質疑応答
(1)あなたは人としてこのような基準に適合しているだろうか。このような品徳を具備しているだろうか。
(2)陶淵明のような処世をあなたはどう思うかだろうか。皆に発表してみよう。
(3)現実の生活の中で、自分の理想と一致しなかった場合、どちらを優先するか。あるいはその折衷をはかるのだろうか。(例えば、五斗米に頭を下げず)。
☆以下工事中…しばらくお待ちください。
参考文献:正統文化教材「千字文」
正見網「千字文」中文版